海外で働きたい気持ちはあるけど、不安で一歩踏み出せない方へ。
一足先に海外転職に成功し、そこで奮闘する先輩方にインタビューをしてきました!
アジア転職成功の秘訣が見つかるかも?
中国web広告の世界へ 日中相互の魅力を伝えていきたい
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上海の広告代理店で、白熱する中国IPビジネスを経験。その後イラストレーターとして独立!
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転職先は、経営危機のインド企業。日本利益200USDから這い上がり、ついに日本支社の代表取締役に就任 …
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はじめてのインド旅行で受けた印象は“最悪”。でも、夫のインド起業をきっかけに2018年にインド移住をし、さらに深刻なコロナ禍をインドで過ごしました。ひとりのビジネスパーソンとしてインドには魅力を感じています。 …
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幼少期から日本と中国を行き来する生活をしていました。いつしか日本語教師を志すようになり、現在は上海市甘泉外国語中学に勤めています。コロナ禍での外国語教育に悩むこともありました。 …
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社会人になって、公費留学生として上海にやってきました。上海の開放的な雰囲気に惹かれて、現地就職をすることに。現在はフリーマガジン『コンシェルジュ』の編集長兼営業をしています。 …
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台湾の百貨店でバックオフィスの仕事を始めた当時、私の中国語は「日常会話レベル」にもならない程度です。だからがむしゃらに頑張りました。 …
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「絶対に海外で働こう!」と決めたことは、自分のターニングポイントになったと思います。なぜなら、タイで自分の“好き”を仕事に活かすことができて、自分自身が大きく成長することができたからです。 …
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「教師2年目、配属されたのは外国人児童が2割の公立小学校でした。児童との交流を通して、次第と中国への興味が膨らみ始め……。日本人学校で働くということが、自分自身の選択肢として見えてきたんです。」 …
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「新卒から海外で働いて不安に感じていたのは、自分は何か成し遂げられたのか、成長できたのかわからずにいたことです。日本で就職した友人と比較し、自分のキャリアに不安や焦りを感じたまま任期を終えたことを覚えています。」 …
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「オーストラリアでは就職が決まらず、台湾では入社半年でリストラ宣告。ですが、日本への帰国という選択肢はありませんでした。さまざまなピンチを乗り越えた経験が、私の財産になっています。」 …
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「長年勤めた日本のラジオ局を辞め、30代で台湾へ渡りました。台湾が大好きだったことと、少し足を止めて自分を見つめなおす時間が欲しかったからです。そして台湾で様々な経験を積む中で、自分が本当にやりたかったことに気づきました。」 …
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「上海でビジネスを興すおもしろさは、日本では太刀打ちできない相手と同じ土俵に上がれることです。創業間もない会社や規模が大きくない会社でも、企画力、アイディアがあれば勝てることもあります。」 …
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「45歳で日本の企業をセミリタイアし、家族とのんびりとした生活を求めてベトナムへ渡りました。しかし、蓋を開けてみればもっと忙しくなって、自分の時間すら満足に取れていません。でも今、辛いとか辞めたいとかネガティブな感情は不思議とないのです。」 …
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「今や世界2位の経済大国。ITの分野ではアメリカを抜かすと感じています。この中国という大国のエネルギーを説明できる何かを見つけたい。中国で働くのは、その答えのヒントを見つけるためです。すべては、中国に対する興味です。 」 …
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「東南アジアにわざわざ働きに行く日本人弁護士は少数です。でも私はそんな市場なら、弁護士としての自分の価値も出しやすいだろうと思いました。お金のためだけなら、海外の現地採用で働く必要はないと思います。」 …
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「20代くらいの人の方が身軽で、本気で海外を考えられるのかもしれませんね。もし海外に出たいという人がいれば、出てみたら、という感じです。ただ、長く生活するには「芯」が必要だと思います。」 …
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「誰でも中国に来ればいい、というものではないというのが正直なところですね。海外の新しい環境に飛び込む前に、まずは自分が何を得たいのかしっかり考えた上で、求める経験が積めるのなら中国もいいと思います。」 …
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「周りの友人と違う道を歩むことに不安を覚えましたが、『海外で働く』って若いうちの特権というか、失敗してもまだやり直せるチャンスはあるから、このタイミングで帰らなくてもと思ったんです。」 …
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英語を勉強したいという気持ちをずっと持っていた木村田直美さんは、日本でしばらく働いたあと、ニュージーランドへ渡った。そこで半年英語を勉強し、ツアーガイドの仕事をしたあと、ビザを更新して残るか、帰国するかの選択を迫られた。そのとき、東南アジアで働いてみたいという気持ちを思い出したという。 …
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日本でしっかり働いてからでも、一休みした後でも、アジアの国に転職することは不可能ではない。海外で働く人のことを、日本より外国の水が合っている人という人がいるかもしれないが、話から察するに、福井亜希さんはどこでも即戦力になれる、とても頭のいい人という印象だ。経歴も十分な彼女が、タイに2度目の就職を決めたのはなぜだろうか?…
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このサイトを見ている皆さんの中には、現在、東南アジアの諸国に滞在していたり、学生として住んでいる方もいるかもしれない。日本の求人倍率は改善傾向にあっても、その国が気に入って、このまま残って仕事を探すべきかどうか悩んでいる方もいるのではないだろうか。今回登場いただく藤井俊行さんは、海外での留学を終えたときに、現地に残ることを選んだ。 …
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近年増えている東南アジアへの就職でのなかでも、インドネシアを選択する人は、今はまだそれほど多くない。旅行先として人気の香港やタイ、シンガポールなどはある程度の想像ができても、それ以外の国となると、生活も、就労環境も未知の部分が多いのではないだろうか。しかし、そこに面白さを感じて、後藤稲高さんは日本を飛び出した。そして、希望していた業界への転職も果たしたのだ。…
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「やりたいことは、早くやる」精神が大事だと、25歳になったばかりの豊永 奈帆子さんはいう。大学時代の北京留学を経て、新卒で日本のモバイル広告企業に就職した3か月後に台湾へ赴任。その後、「海外の企業で、日本人が自分だけという環境に身を置きたい」と考えて、香港にあるカナダ企業に転職した。その姿や言葉からは、キャリア一辺倒というよりも、仕事も人生も大いに楽しみたいという意思が伝わってくる。 …
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八田舞さんはとても勇敢だ。アメリカ留学時代にインドの経済成長を目の当たりにし、「インドで人生を賭けてやるべきことを見つけたい」と、卒業後にインドへ乗り込んだ。…
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久保裕美子さんは29歳。半年前にシンガポールで生活をスタートした。幼児期から18年に及ぶアメリカ生活で語学や文化にまったく不安はないが、アメリカへ戻らずシンガポールを選んだ。「日本でそれまでの就業経験で学んだ規律と調和を重んじる精神と、米国式の発想力が両方生かせると思ったんです。働き始めて半年たった今も、その思いは変わりません。シンガポールは英語圏でありながら、アジアの良さが最大に生きる国です」…
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