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海外転職の先にある、キャリアと生き方

第13回:栁田基樹さん(TIE Global合同会社 代表社員 )

海外就職体験談 2024-01-30



入社1か月で新拠点の立ち上げを担当。
海外での経験と語学力の向上が、
新たなキャリアを切り開く


佐藤紘貴さん

TIE Global合同会社
代表社員
栁田基樹さん


東京の大学を卒業後、不動産仲介の営業として4年間勤務。2014年にインドネシアの日系大手通信会社へ転職した。新拠点の立ち上げ業務から始まり、拠点管理や営業業務を行う。2019年に日本へ帰国。現在は法人を立ち上げてインドネシアの法人からアウトソーシング業務を請け負っている。
インドネシア現地採用者向けのブログ「「現地情報UpdateBlog」も運営中。



不動産営業で働き詰めだった4年間。でも、営業は面白く、楽しい

東京生まれ、大学も東京で、新卒で就職したのも東京でした。大学を卒業してからは、4年間、ディベロッパーのグループ会社の不動産仲介部門で、営業として中古物件の売買を担当していました。取り扱うのは、中古の戸建てやマンション、駐車場などです。土地や建物を売りたい人と買いたい人を探して、両者をマッチングさせるような仕事ですね。
不動産業界はどこも激務なことが多いと思うのですが、僕自身もそうでした。当時は残業が月に100時間を超えるのも当たり前でした。新卒ということもあり、他での働き方を知らなかったからこそやれたんだと思います。かといって、仕事がツライということはなかったですね。営業はやったぶんだけ成果が目に見えます。仕事は面白く、楽しいと感じていました。

近隣諸国への旅行も楽しんだ。タイとラオス、ミャンマーの国境であるゴールデントライアングルでの1枚



海外就職を目指し、語学留学へ。ひょんなことからインドネシアが候補地に

4年間勤めた会社を辞めたのは、海外で働きたかったからです。かつては海外志向のあるタイプではありませんでしたが、仕事を始めてから長期休暇のたびに東南アジアを中心に海外旅行をするようになりました。旅行をしていると違う世界が見えてきて、いつしか海外で働いてみたいと思うようになったんです。

ただ、海外で働くためには語学力が必要です。当時は英語ができなかったため、まずはフィリピンで半年間の語学留学をすることに。タイ、ベトナム、フィリピンなど、東南アジアで働けるだけの英語力をつけようと思ったんですよね。ですがその留学中にインドネシアで働く日本人の方に出会ったんです。話を聞いていると、インドネシアも面白そうだと思いました。それに、調べてみたところ意外と日本人向けの求人が多くありました。
語学留学が終わる時期に、いちどインドネシアに行ってみることにしました。これが初めてのインドネシアです。面接も複数組み込んで、10日間ほど滞在しました。そうしたら、初日の面接でいきなり内定をいただいたんです。大手日系通信会社のインドネシア法人からでした。現地法人の社長がユニークな方だったので、僕としてもこの会社で働きたいと思い、二つ返事で承諾しました。

不動産業界からIT業界への転身だったのでこれまでの仕事とは業界が異なりますが、売るものが変わろうが営業としての仕事は変わりません。そのため、業界が変わることについて不安はありませんでしたね。

ミャンマーにある仏教徒の巡礼地「チャイティーヨー・パゴダ」にて



ひとりでスタートした新事務所。ビジネス開拓をする面白さを実感

現地採用として働き始めたころは、新しいことばかりで非常に刺激的でしたね。最初はジャカルタ勤務からスタートし、入社1か月でインドネシアの工業団地地帯で新しい拠点の立ち上げを任されました。営業先の工業団地の候補地を決めて、事務所の物件を探して――。現地のことなんてほとんど知らない状況だったので、大変だと思う暇さえなく、とにかくやるべきことをやっていたという感じです。

新しい拠点はひとりだけでスタートしましたが、次第にスタッフが増えていき、最終的には10人になりました。僕は日系企業を対象に、インターネット回線整備やPCやスマホの手配、監視カメラや出退勤管理システムなどオフィスや工場構築にあたってのITサービスについての営業をしていました。2014年当時はライバル企業がいなかったこともあり、比較的営業はしやすかったと思います。

僕は管理者として、営業部門だけでなく会社全体の管理も行っていました。業務量は膨大でしたが、やはり仕事は楽しかったです。イチから事務所を立ち上げて、ビジネス開拓をし、事務所のスタッフが増えていくのは面白いものですよ。

それに、インドネシアで働き始めてから日本にいたときよりもプライベートの時間が確保できるようになりました。残業はありますが、やるべき時に仕事をやり、やらない日はやらない。管理職として自分で働き方を決めることができました。仕事を切り上げて、ランニングしたあとに自宅で働いたり、プライベートと仕事を分けるというよりは、フレキシブルに働くことができた。その働き方が僕にはあっていたようです。

カンボジアのアンコールワット



イスラム文化への配慮が必要。でも、自身の生活に大きな制限はなかった

事務所のスタッフは、僕以外はみなローカルスタッフでした。インドネシア人はその多くがイスラム教徒です。ムスリムの方は毎日お祈りがあったり、1年に1か月間ラマダンという断食があります。彼らが働きやすいように、仕事中でもお祈りの時間は確保したり、断食の時期になるとムスリムは日中に水を飲むことができないので、僕も彼らの前では水を飲むのを控えることもありました。そのほかでは、ムスリムの方は豚肉やアルコールが禁止されているので、そうしたことは十分に理解しておく必要があると思います。

ただ、僕たちは日本食レストランに行けば豚肉を食べたりお酒を飲んだりすることができます。配慮は必要ですが、イスラム教の国だからと言って、自分の生活に過度な制限がかかるようなことはなかったですね。

フィリピン就職

お酒は飲めるが、とはいえ、割高なのは仕方がない……



海外で働いたことで選択肢が広がり、国も会社も制限されず働ける自信がついた

現在は日本に戻っています。戻るきっかけとなったのは、当時のクライアントから一緒に働かないかとオファーをもらったことです。日本に本社を持つ製造業の会社からでした。2019年に5年ぶりに日本に戻ってきたんですが、改めて日本って良い国だと思いましたね。でも、向こうに慣れすぎて、自由度が少ない働き方は窮屈だなとも感じました。インドネシアでは自力でなんとかしなければいけなかったぶん、日本に戻ってからは逆の苦労を知りました。

それが理由というわけではありませんが、じつは現在は本社に所属しているわけではないんです。法人を自ら立ち上げて、独立した形でその会社のインドネシア法人からバックオフィス業務を請け負っています。具体的には、貿易関連やバックオフィスのコンサルティング・アウトソーシングなどです。今後もインドネシアを中心にビジネスの幅を広げていくので、これからもインドネシアとのつながりは続く予定です。

海外で働いたことで、僕のキャリアの選択肢は広がりました。ビジネスを開拓することや、管理職として多くの経験を早い段階から積めたのは海外ならではだと思います。経験と語学力が上がったことで、日本だけでなく海外でも働ける自信がつきましたし、今では会社に所属しなくとも自力でやっていけるとも思えるようになりました。

インドネシアでは、多くの日本人たちとも交流がありました。海外で働く日本人の中には、ワークライフバランスを重視する方もいれば、バリバリ仕事をしたい方もいます。現地採用で成果を出した方が本社採用に変わったり、更にキャリアを広げていく様子を身近に見てきました。海外で働く目的は一人ひとり様々だと思いますが、きっと多くの人にとって将来の可能性を広げるきっかけになるはずです。



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