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海外転職の先にある、キャリアと生き方

第12回:佐藤紘貴さん フリーランス(ウェブマーケター・ディレクター)

海外就職体験談 2023-12-21



発展途上の組織だからこそ、
自らがビジネスを成長させる面白さがある。
現地採用としてハングリーにスキルと経験を積み上げた


佐藤紘貴さん

フリーランス(WEBマーケター・ディレクター)
佐藤紘貴さん


新卒で日本の大手メーカーに就職。営業として働きはじめ、2016年には海外トレーニー制度を利用してインドへ赴任した。帰国後に退職し、2019年に同社のフィリピン支社で現地採用として入社。2023年日本に帰国した。現在はフリーランスとしてWEBマーケターやディレクターとして働いている。
個人運営サイト「LIFE EXPLORER.」にて、海外就職についての情報を発信中!

海外で働く場合、駐在採用か現地採用か、どちらかの採用方法で働くことになる。一般的には駐在採用は現地採用よりも、待遇が優遇されていることがほとんどだが、佐藤さんはインド駐在後に、同じ会社のフィリピン拠点で現地採用として働いていている。現地採用として働く経緯、海外就職で得られたことについて伺った。


1年間のインド駐在。そこで知った仕事の楽しさ

これまで、インドでの駐在勤務とフィリピンでの現地採用、2度の海外就労を経験しました。はじめのインド駐在は28歳の時です。当時6年間勤めていた日系メーカーで、1年間の海外トレーニー制度を利用して赴任しました。

インドというと、日本だとネガティブなイメージを持つ方が多いんじゃないでしょうか? 貧困や大気汚染、差別――私自身もそうした悪いイメージが先行していたので、それなりに覚悟して渡航しました。ただ、結果的には、僕はインドからかなりポジティブな印象を受けましたね。インドなまりの英語や価値観の違いに戸惑うことはありましたが、僕にとってインドは仕事の楽しさを知ることができた場所だったんです。

私が所属していたインド法人は発展段階だったこともあり、トライ&エラーを恐れずに繰り返すことができました。ビジネスにおいてはなによりもスピード重視だったことも、僕にとっては新鮮でしたね。組織としての意思決定のスピードがとても速く、積極的に挑戦できる環境が自分自身の成長につながっていると感じていました。僕は経営戦略・販売企画の担当者として赴任していたのですが、自分のがんばりが組織の成長に貢献していると実感することもでき、それが仕事のやりがいや楽しさにつながっていたんだと思います。 1年間の任期の中で結果を残したいという焦りはありましたが、それでも前向きに仕事に取り組むことができました。

インド就職

ヒンドゥー教の聖地インド・バラナシ。河で沐浴する人や流れる遺体など驚きの連続だった



日本に戻って感じた、働き方への違和感

インド赴任によって少し自信がついて、仕事を純粋に楽しむことができるようになった。日本への帰任時には、その前向きな気持ちのまま頑張るぞって思っていたんですが……。日本に戻ってみると、そのポジティブな気持ちを維持することが難しかったんです。日本の働き方への違和感や、働くしんどさみたいなものが、インド経験を経て意識化したんだと思います。大企業ということもあり、上の立場の人への配慮が必要なことや、自分の組織に対する貢献度もあまり感じられないことが、純粋に仕事を楽しめない要因になっていたのかもしれません。

……それで、日本に戻って数か月たったころに思い切って仕事を辞めたんです。自分には休暇が必要だと思ったので、世界旅行をすることにしました。もともと旅好きということもあって、きれいな建造物や壮大な景色を楽しもうと思って……(笑)。でも、自分でも意外だったのが、3か月もしないうちに旅に飽きてしまったんです。きれいな景色も、毎日それが続くと当たり前になるというか、感動できなくなってしまう。ヨーロッパ2か月、アメリカに数週間、あとは東南アジアに数週間滞在したところで、やっぱり働こうって思いなおしました。

それでも当時の僕には日本国内で再び働く選択肢はなかったですね。タイ、ベトナム、フィリピンを候補に転職活動を始めました。ちょうどその時、インド赴任時の上司から、フィリピン拠点に異動になったと連絡があり、僕にもフィリピンで働かないかと誘いが来たんです。 ありがたい誘いではあったのですが、条件は現地採用として。もちろん、駐在員の時よりも給与や待遇が劣ります。……当然、悩みますよね。

最終的には、現地で生活するには十分な給与であることと、必要なら副業すればよいかと考えてオファーを受けました。何より、当時は海外で働くことを優先させたかったんです。

インド就職

インドのパンゴン湖。自然も遺跡もインドは見どころが多い



初めてのマネージャー職。文化の違いに戸惑うことも……

フィリピンでは、日本、インドと勤めた日系メーカーのマネージャー職として入社しました。それまで管理職の経験はありません。それゆえに、インド赴任時とは違った困難を感じることはありました。マネージャーである以上、ローカルスタッフの成果にも責任を負う必要が出てくる。彼らは日本人とは異なる価値観で動いているので、勤務態度に対する指導には頭を悩ませることもありました。日本では、毎日何時間も遅刻をする社員というのは、あまり見かける機会はありませんから……(笑)。

組織として良いパフォーマンスをするために、スタッフ全員に気持ちよく働いてもらいたいのですが、相手の価値観に配慮しつつも目に余るところは注意しなければいけない。そのバランスは難しいなと思っていました。――こうしたことは、アジア圏で管理職として働く人達に共通する悩みかもしれませんね。

フィリピン就職

3ヶ月以上続いたコロナによる厳しい行動制限。オンラインでの仕事が続いた



気分転換をはさみつつ、仕事漬けだった4年間

東南アジアで働くというと“日本よりも働きやすい”とか、“生活にゆとりが持てる”といったイメージを持つ方もいると思います。もちろんそうしたケースもあるはずですが、僕の場合はフィリピンでの4年間が今までで最も忙しく働いていました。管理職ということもあり、残業はとても多かったです。また副業も認められていたので、休日にはウェブマーケティングの仕事もしていました。

そうなると1週間、毎日仕事をしていたわけですが、それが過度なストレスになることはありませんでしたね。……まあ、もともとフィリピンに行っても仕事がんばろうっていうモチベーションだったので、ずっと仕事をしていても嫌気がさすといったことはなかったです。それに、仕事にやりがいがあったことも良かったのだと思います。発展途上の組織の中で、自分自身の働きが組織の発展に貢献できているという実感がありましたし、自分自身の成長を感じる機会も多かった。また副業で得たウェブマーケティングのスキルは、本業に役立てることもできました。

もちろん、プライベートで適度な息抜きは楽しんでいましたよ。マニラには美味しい飲食店が多いし、きれいなビーチへも気軽に行けます。そうした気分転換を挟みつつ、4年間は仕事漬けの生活をしていました。

フィリピン就職

マニラから片道1時間のフライトで行ける、きれいなビーチは数多くある



現地採用だったからこそ、ハングリーになれた

4年間フィリピンで働くと、そろそろ環境を変えたいと思うようになってきました。フィリピンでやれることは十分にやったという満足感があった。そろそろ給与面や働き方も含めて、ステップアップするときだと思ったんです。

それで、2023年の3月に日本に戻ってきました。現在は、フリーランスとしてウェブマーケティングやウェブディレクターとして働いています。フィリピンで副業として取り組んでいた仕事が、結果的に現在の仕事に直結しています。おそらく、駐在で待遇が良かったら、それほどハングリーになることはなかったはずです。今あるスキルも身につくことはなかったんじゃないでしょうか。そういう意味では、現地採用として働いた経験は僕にとってプラスになっていると思います。

今後もずっとフリーランスとしてやっていくかどうかは決めていません。やっぱり、組織で働くことは楽しいし、大きなプロジェクトにも取り組めますから。それでもしばらくは、フリーランスとして経験を積んでいこうと思っています。

国が違うと言語が違うし、文化背景が違うひとと働くことになる。困難も多いけど、その分、達成したときの喜びもひとしおです。特にアジア圏ではまだまだ発展段階の国も多い。そうした地域だからこそ自らがビジネスを開拓する面白さや、自分自身の成長を感じる機会は多いはずです。そこで得たものは、日本に戻った時にもきっと役立つのではないでしょうか。

フィリピン就職

フィリピンの住まい近く。治安が良く夜間でも気軽に出歩けるエリアも多かった





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