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海外・アジアで働く人々の就職体験談!連載企画『アジアで働く』

インドで働く 松原寿美さん(SaaS企業 日本支社代表取締役)

海外就職体験談 2022-10-21



転職先は、経営危機のインド企業。
日本利益200USDから這い上がり、
ついに日本支社の代表取締役に就任




SaaSスタートアップ企業・日本支社代表取締役
松原 寿美さん

1991年、岐阜県生まれ。北インド・パンジャブ州アムリトサル在住。大学卒業後はアパレル系スタートアップ企業に入社し、営業職として約5年間働いた。2019年に「ソーシャルメディアマーケティング&管理ツール」を提供するSaaSスタートアップ企業「Statusbrew」に入社。2021年6月、日本支社代表取締役に就任した。


松原さんがStatusbrewに入社した当時、会社は経営危機の真っただ中。最初は給料すら出ない状態だったそうだ。しかも会社拠点があるのは、北インドのパンジャブ州アムリトサルという超地方都市。外国人を見かけることすらない地域で、もちろん所属するのも全員が現地インド人の超ローカル企業だ。そのような場所に、松原さんはどのようにしてたどりついたのだろうか? インドで働く理由とその魅力について伺った。


***


日本人すらいない地方都市。
   ひとりだからこそ強くなれた


私が住んでいるアムリトサルは、インドの地方都市です。これまで、この地で日本人を見かけたことはないですね。そもそも在住外国人がとても少ないんじゃないでしょうか? 「日本人ひとりで心細くないですか?」って聞かれたりもしますが、まったく気になりません。むしろ私にとっては、知っている人が誰もいなくて、日本人すらいない土地だからこそ、人としてもビジネスパーソンとしても成長できたんだと思います。

私が日本支社代表取締役を務めるStatusbrewは「ソーシャルメディアマーケティング&管理ツール」を提供するSaaS(Service as a Software)スタートアップ企業です(※1)。SaaSはとても競争の激しいマーケットで、日々、競合他社の成長を意識せざるを得ません。時には他社や他人の状況がうらやましくて感じることも……。それで焦ってしまって、投資家、アドバイザー、様々な方のご意見に振り回されてしまった時期もあったんです。

もともと私は人の意見に左右されやすいタイプ。だからこそ、孤独なくらいひとりで考える時間が必要だと感じています。相手のペースに飲み込まれずに、どんな時でも《会社として目指していること》《プロダクトとして本当にやりたいこと》を見失わないためにも、ひとりで最適解を考えることを大切にしています。

ひょっとすると、頼れる人が誰もいない環境だったっていうことも、自分のペースを守るにはちょうど良かったのかもしれませんね。

インド就職

「インドのIT都市、バンガロールのレストランにて。アムリトサルからは実に2,600キロの距離があります」



就活に失敗し“コネ”で入ったスタートアップ企業。
   働き始めると、自分の長所が開花した

学生時代の私はダメダメで、就活でも全く内定が取れなかったんです。いよいよヤバいって時に、知り合いの女性社長さんに「働かせてください!」って頼み込んで、拾ってもらいました。その方は、ゲームソフトとかDVDとかの卸売りをしていたんです。でも、時代的にもそのビジネスが厳しくなっていて、その方は別の事業に再起をかけていたんですよね。

私が入社したのは、ちょうど事業転換をした頃。ソフト販売から一転、アパレル商品の再販事業を立ち上げていました。具体的にどのような事業かというと、倒産する企業から在庫を買い取って、値札とタグをつけなおして、再ブランディングするというもの。私が入社した時はその事業を始めたばかりだったので、ほとんどゼロからのスタートでした。私は営業という肩書でしたが、ブランド店舗や百貨店に商品を買いに行ったり、埃だらけの倉庫に行って1日中ジャージで作業したり。今振り返ると、めちゃくちゃ泥臭い仕事をしていたと思います。しかも、とにかく会社にお金がなかったんですよね。明日のお金を作るために、私も必死に働きました。

その成果もあって、販売チャネルの広がりとともに、経営状況は徐々に安定していきました。客観的に見ると、結構キツイ状況、キツイ仕事だったと思うんですけど、なぜだか自分には合っていたみたいです。辛いと感じるより先に、やるべきことを必死でやっていたという感じ。それが楽しくもありました。

最近気づいたことなんですが、私は精神的にめちゃくちゃタフなところがあるみたいです。もともと気が強い性格だったわけではなくて、学生のころはまったく真逆のタイプ。目立たない人だったし、クラスの人気者だったわけでもない。でも、就活に失敗して“コネ”で入れてもらった会社で、自分本来の性格が爆発しました。なんとか自分で会社のお金を作らなきゃいけないってなったら、なぜだか頑張れた。自分らしさが急に出せるようになったんです。


インド就職

「自慢のオフィス! 開放的な空間でとても居心地が良いです!」



向いていなかった主婦生活。
   全てをリセットするためにインドへ

どうして、私がインドで働くことになったのか――。もともと、人と違う選択をすることに抵抗はなかったと思います。それに、インド行きを後押しした出来事があって……。実は私、結婚していたんですよ。結婚をきっかけに、約5年間続けた前職を辞めてしまったんです。辞めて、1年ちょっと主婦をしていたんですが、それがほんっっっとうに合わなかった! いやあ、きつかったですね。お金を稼げない自分自身に、自信を持つことができなかったんです。

そんなとき、なんとなくビジネス特化型ソーシャルメディアを見てみたんです。そしたら、現在勤めるインドの会社「Statusbrew」の求人が目に留まりました。それを見た瞬間「あ、これだ!」「私はこの会社で働くんだ」って。自分でも、その時の直感は冴えすぎていたと思います。

それに、その求人を見た瞬間に、今の生活から抜け出したいなら日本から出ればいいことに気が付いたんです。当時は、とにかく全部をリセットしたかった。すみません、ぜんぜんポジティブな動機じゃないんです(笑)。

インド就職

「なんとオフィスはプール付き。メンバーたちと泳いだり、気分転換には最高です」



入社するのは経営危機のインド企業。
   私がこの会社を立て直す!

しかしです。当時の「Statusbrew」はなかなか“ヤバい”経営状況でした。 弊社は、兄弟であるCEOのトゥシャール・マハジャン(弟)とCOOのリシャブ・マハジャン(兄)立ち上げたSaaS企業で、ソーシャルメディア向けのマーケティングツールを提供しています。このサービスは、もともと個人向けサービスとして、グローバルに人気を集めていました。最盛期には世界で1500万人のユーザー様がいたんですが、弊社のプロダクトを活用できるソーシャルチャネル側の方針が変わったことにより、経営が悪化。社員はどんどん辞めていき――。当時は、代表をはじめとしたコアメンバーたちがギリギリで踏ん張っているような状況でした。

経営状況が厳しい中でも創業メンバーたちは諦めませんでした。彼らが新たに目を向けたのが、日本の市場だったんです。特にCOOであるリシャブは日本で働いた経験があって、弊社のサービスが日本のビジネスにマッチするはずだと考えました。それで日本に進出する足掛かりとしてスタッフが募集され、私が応募したというわけ。

そうした事情はあらかじめ聞いていたので、しばらくはまともな給料はもらえないだろうなって覚悟はしていました。実際、1年半は給与が出なかったです。それでも、衣食住は確保してくれていたので、私にとっては大きな問題にはなりませんでした。

むしろ「私がこの会社を立て直したるで!」くらいに意気込んでいましたから「将来的には日本支社を立てて、自分がそこの代表になる」って未来しか見えてなかった。入社当初には「この会社に未来はないよ」って言われたこともあったけど、そんな言葉は一切耳に入ってこなかったですね。むしろ「ここで挽回できたら大きな功績になる」とやる気が出ました。私はプレッシャーが大きいほど燃えるタイプなんです(笑)。

それになにより、Statusbrewのプロダクトを見たときに「これなら成功できる」と確信していたんです。昨今のソーシャルメディアのマーケットはとても勢いがあります。競合他社の成長にも目を見張るものがあり、市場は日々フレキシブル転換しています。だからこそ、Statusbrewが提供するサービスにも無限の可能性があると感じたんです。プロダクトを見た瞬間、成功へのロードマップがいくつも頭に思い浮かびました。


インド移住

「オフィスでのミーティング中の1枚。メンバーたちと意見を交わすのは楽しくもあり、刺激的です」



200USDからスタートした日本向けビジネス。
   2021年、ついに日本支社を設立!

いざ入社するとなったら、代表たちはすごくウェルカムムードで迎え入れてくれました。「うちの会社を立て直してくれるヤツが日本からやってくるぞ!」って(笑)。

仕事はインドに渡航する前からリモートで開始したんですが、IT分野の経験がなかったので、とにかく最初は弊社の事業についてとことん理解することから始めました。プロダクトについては誰よりも学んで、ユーザー様のあらゆる利用例を検討しました。様々なビジネスに対応できるよう、私自身が誰よりも率先して頭と手を動かした自信があります。さらに、営業利益を生み出せていないビジネスの問題点もあぶりだしていきました。そうした努力の成果が実り、インド渡航前に日本での案件を1件獲得できたんです。

インドに来てからは、日本の売り上げを確保することに注力しました。なにより先に、会社のメンバーから信頼を得て、私の存在意義を証明したかった。もちろん、最初から上手くいったわけではありません。全く売り上げが作れず「自分はなんて役立たずなんだろう」って落ちこんで――。恥ずかしながら、周りの優秀さにも圧倒されて、親に泣きながら「生まれたときからやり直したい」って電話したことすらあるんですよ(笑)。

でも、次第にウェブマーケティングの成果も出始めて、日本の契約が増えていきました。そして、この1年くらいでやっと胸を張れる成果に結びついたと感じています。

私がこの会社に入社して3年。当初、月に200USDしかなかった売り上げから這い上がることができました。これまでの3年間は、ゼロから1を生み出す苦しさを味わいました。今は、1から10にする辛さを味わっているという感じ。でも、それが楽しいんです! 朝起きると毎日ワクワクしていて「今日はあれをやろう」「あの仕事を進めたい」って、やりたいことが溢れてきます。学生の頃の私って、朝が来るのが怖いとか、1日始まるのがツライみたいな感じだったんですよ。それが30歳にして、今が人生で一番楽しいって思えるんです。


インド移住

「チームメンバーとのお気に入りの集合写真。みんな自由な性格で、全員は集まりませんでした」



コロナ禍で働き方をリモートに転換。
   インド各地から優秀な人材が集まった

コロナ禍が始まったのは、私がインドに来て半年くらいたってからでした。厳しいロックダウンが敷かれたのは苦しかったですが、同時に働き方を変える転機にもなりました。

もともと弊社は、地元のインド人だけで成り立つ超ローカル企業。でも、コロナ禍をきっかけにリモート体制を整えたことで、ムンバイやバンガロールなどに住む優秀なスタッフと一緒に働けるようになりました。入社当時は10名だったメンバーも、今ではインド各地から集まって21名。今後ビジネスを拡大していくうえでも、とても心強いチームが作れています。「良いチームが作れると、こんなこともできるんだ!」って、日々嬉しい驚きの連続です。

そして2021年6月、ついに日本支社を立ち上げることができました。入社当初の目標は日本支社の代表になること。でも、その地点に立ってみると、私の目標はこんなもんじゃないですね。もっとインド地方発のSaaS企業である弊社のこと、弊社の魅力を、日本の方にもっと知ってもらいたいです。


インド移住

「リモートワークも便利ですが、やはりオフィスがいちばん居心地がいいです」



目立ってしまう“ガツガツ”した性格も、
   インドではいちばんの長所になり得る

インドって人口14億人いて、多様な人々が暮らしています。うちのチームメンバーたちも、インドの超多様社会で培われた地頭の良さがある。臨機応変さ、臆さない姿勢、スピーチ力はまったくかないません。こんな田舎街でもこんなに優秀な人たちがいるんですから、インド人が世界でリーダーシップを取れる理由がよくわかる気がします。

インド社会は問題が山積みですし、正直インフラも最悪。でも、国家や行政だけでは問題が解決できないからこそ、個人で立ち上げたビジネスが社会に大きなインパクトを与えることができる。インドビジネスの熱量は、私にはとても魅力的に写ります。私は仕事に対して “ガツガツ”したタイプだし、お金もたくさん稼ぎたい。こういう性格は、日本だと悪目立ちしてしまうかもしれません。でも、インドではその性格が長所になり得ます。むしろ、まだまだ足りないくらい。

たまたま見かけた求人によって偶然たどり着いたインドですが、その時の直感は間違っていなかったんだと思います。インドは、私が最も輝ける場所なんです。

インド就職

「デリーでのアフターヌーンティー。仕事もプライベートもとても楽しんでいます!」



※1 SaaSとは……Service as a Softwareの略語。クラウド上で使用できるソフトウェアの総称です。

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