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海外・アジアで働く人々の就職体験談!連載企画『アジアで働く』

上海就職体験談 星野諒子さん

海外就職体験談 2021-09-01



教師として出会った、日本に生きる外国人の子どもたち。
彼らとの交流を通して、
自分も「外国人」になってみようと思った。



日本人学校 教師
星野諒子さん


【プロフィール】1991年生まれ、神奈川県出身。横浜国立大学、教育人間科学部を卒業し、小学校教師として横浜市の公立小学校で6年間勤務する。2021年現在、上海にある日本人学校で学級担任をしている。


上海の日本人学校で先生をする星野諒子さんは、外国人が多く住む神奈川県で生まれ育った。幼少期から外国人が身近にいる環境で、言葉の通じないクラスメイトと話してみたくて、スペイン語のひとこと会話辞典を買ったことがあるという。そんな彼女は、教師である両親の影響から自然と教育に興味を持つように……。そして、教師2年目に配属された公立小学校で、再び外国人の子どもたちと出会うことになる。「なぜ中国で、日本人学校の先生をするのか?」そのきっかけや、想いを伺った。


***


教師2年目、配属されたのは、
   外国人児童が2割の小学校


大学卒業後は、横浜市にある小学校の「臨時的任用職員」として、キャリアをスタートしました。翌年、別の学校で正式採用されることになったんですが、そこは横浜中華街近くの公立小学校。土地柄、中国をはじめとした外国籍の子どもたちが多かった。フィリピン、ロシア、インドネシアなど、全校児童の2割が外国にルーツを持っていたんです。日本での生活に苦労している家庭の子どもも、少なからずいました。

なかには、入学式の数日前に日本に来た子も……。例えば、生まれてすぐに中国の祖父母に預けられ、両親は日本に働きに出て、小学校に上がるタイミングで呼び寄せられた――というようなケースです。それまで中国でしか過ごしたことがないのに、突然日本に連れてこられたわけです。当然、言葉はわかりませんし、とても不安ですよね……。

初年度は音楽の教師という立場でしたが、そうした日本語が不得意な児童たちも授業に参加できるよう、配慮しながら進めていました。すると、次年度へ向けての面談の際に、授業の様子を見ていた校長先生が「国際教室を受け持たない?」と声をかけてくれたんです。




国際教室とは、日本語指導が必要な児童生徒への支援を行う補講教室のことです。一般の児童たちが国語や算数といった授業を受けている時間に、外国につながりを持つ子どもに日本語指導をして、同時にほかの科目のサポートもします。神奈川県は外国人が多い地域ということもあり、こうした取り組みがとても熱心に行われています。もう20年以上も前にはすでに、取り組みが始まっていたんですよ。私が小学生だったころも、当時のクラスメイトのなかには、ペルーやブラジル出身の子がいました。なかには日本語が話せず、周りの子と全くコミュニケーションが取れていない子も……。当時の私はその子と話してみたくて、スペイン語会話の本も買ったことがあるんですよ。どうやら、小さなころから、外国の方に興味があったみたいです(笑)。

国際教室の仕事は、とてもやりがいがありました。子どもたちが徐々に言葉を習得して、他の児童と打ち解けていく姿を見るのはとても嬉しかったです。また、日本語のわからない親御さんに対しても、英語や中国語でお便りを出したり、学級担任との間を受け持ったり……。教師という立場でありながら、社会的な関わりができていることが、とても嬉しかったんです。

同時に、外国……とくに中国への興味が高まっていきました。たまたま大学で中国語を第二外国語として学んでいたのですが、改めて教科書を読み返し、同僚や子どもたちからも教えてもらって……。そうするうちに、もっと中国語を勉強してみたい、子どもたちが暮らしていた中国についてもっと知りたい、と思うようになりました。



中国語を第二外国語として学んだのに深い理由はなかったが、その後のキャリアに役立つことに。



担任や部活顧問、児童のフォロー。
   業務に追われ、悩んだ先に見えた選択肢

そんなふうに国際教室で3年間勤めたころ、そろそろ学級担任も受け持ちたいと考えるようになりました。翌年は、4年生の学級担任を受け持つことに。そのクラスは40名近い子どもたちがいたんですが、そのうち10名が外国につながる子どもたちでした。

学級担任をしながら、外国につながる子どもたちやその親御さんをフォローして、そのうえ部活顧問も受け持っていて、この生活は思ったよりも大変でしたね……。もちろん、やりがいや楽しさはあります。でも、毎日業務に追われるような感覚で、すべてがどっちつかずになっているように感じたんです。「もっと時間に余裕があれば、もうすこし的を絞って仕事ができるかもしれない」そう思って、別の学校に異動してみようかな……と考えるようになりました。

そんな話を、同僚にもしてみたんです。そしたらその同僚が「外国の日本人学校の求人を見たことがある」と言ってきました。その場で海外勤務の教員募集サイトを覗いてみると、ちょうど上海での求人が目に留まりました。上海には旅行で二度行ったことがあり、どういう場所かはイメージできましたし、日本人学校の勤務経験のある先生が身近にいたので、なんとなく親近感がありました。
その時「日本人学校で働く」ということが、自分自身の選択肢として見えてきたんです。




いままで選択肢になかった「海外転職」だが、経験と興味が一致して、一気に心が動いたそうだ。



結婚式のリハーサル準備中に鳴った電話。
   結婚半年で、上海への単身赴任が決定!

じつはその時、私は結婚したばかり。入籍してまだ半年もたたないころです。「いま、離れて暮らしてもいいのか?」そんな不安はよぎりました。でも、挑戦したい気持ちは抑えられないじゃないですか。パートナーに応募することを伝えつつ、2019年の10月、面接を受けることに。
そこから選考が二転三転あって、12月。結婚式のリハーサル準備中に、電話が突然かかってきたんです。メイク中に電話を受けると「上海に来る意思があるのなら、ぜひ来てほしい」と内定の報告をいただきました。素直にうれしかったですね。思わず「上海に行けることになった」とメイクさんに伝えたら、少し迷ったように「すごいですね!」と言ってくれました(笑)。

もちろん、結婚してすぐに海外にいくのですから、私も彼も、戸惑いがなかったわけではありません。でも、パートナーは私のこれまでの仕事や外国への興味を理解してくれていたので、最終的には納得して送り出してくれて……。ただ、自分自身で上海滞在の期限を設けることにしました。短い期間にはなりますけど、いつまでもいられない分、その時間にやれるだけのことをやって帰りたいなと思っています!

コロナ禍で大使館が閉まり、ビザも下りず……
   「これ、本当に中国に行けるの⁉」

日本人学校の内定をいただいて素直にうれしかったんですが、それは2019年の12月。ちょうどコロナの流行が始まったころです。中国が大変な状況になっていると思っていたら、徐々に日本にも広がり始め、3月には中国大使館が閉まって……。

「これ、本当に中国に行けるの?」という状況になってしまいました。当然、渡航予定だった2020年4月にはビザは取れておらず、渡航することはできませんでした。ひとまずリモートワークから始めることになり、オンライン授業をしたり、そのための教材を作ったり……。そのような状況が夏ごろまで続いていたのですが、8月にようやくビザが下りることになり、9月に渡航しています。4月に渡航予定だったので、約半年延びた状況ですね。




星野さんの趣味は楽器演奏。上海の吹奏楽サークルで、ホルンや打楽器を演奏する。また、中国伝統楽器の二胡にも挑戦し、発表会にも参加した。



外国人として暮らして気づいた
   日本と海外「あたりまえ」の違い

上海での日々はあっという間で、もう来て1年がたちます。忙しい日が続くこともありますが、前職にくらべると余裕をもって働けていますよ。
学校や子どもたちの様子は、日本と中国、そう大きな違いはないと感じています。ただ、外国ならではの配慮が必要なことはありますね。例えば、児童のなかには日本の暮らしをほとんど知らない子たちがいるんです。日本の地理や交通事情、暮らしの背景……。日本の教科書を使っているので、日本の「常識」を改めて説明したりもしています。

そういえば、こんなこともありました。子どもたちと一緒にお弁当を食べているとき、ある児童が食事の途中でデザートを食べ始めたんです。私は思わず「ふつう、デザートは最後に食べるでしょ」と注意しました。すると、中国系のルーツを持つ子が「中国だと果物もデザートも食事の間に食べるよ」って言ってきたんです。日本では、デザートは食事の最後に食べるものだって教わるけど、中国では違ったんですよね。私の主観で児童に注意するのは、文化を押し付けることになってしまう。それに気が付いて、ドキッとしましたね。注意した子に「先生も知らなかったんだ。ごめんね」って素直に謝りました。

もちろん、子どもたちに対して「日本だと違う文化だから、こういう風にするんだよ」って伝えることは大切だと思います。でも、なんの説明もなく、日本の「あたりまえ」を押し付けては、子どもたちの文化を否定することになってしまう。ひょっとすると、日本の学校に通う外国人の子どもたちは、気づかぬうちにそんな経験をしているのかもしれない……。

自分が“外国人”として過ごすと、多くの気づきや学びがあります。ヒヤッとすることも起きてくる。そんな経験すら、とても貴重に感じています。日本で外国人を相手にするときに、この経験が役立ってくるはずですから。




中国に来てからは、上海近辺に旅行に行くなど、充実した日々を過ごしている。



結婚や家族のこと……。大切なものは増えるけど、
  挑戦できる道はあるはず


私は、横浜の小学校で外国にルーツを持つ子どもたちと触れ合う中で「中国に住んでみたい、自分自身が外国人として過ごしてみたい」と考えるようになりました。実際に上海に来ることになり、中国人の友人もできて、住んでみないとわからない文化の違いを体験することができています。 日本に戻ったときの進路はまだ決まっていませんが、日本語教師の資格にも挑戦してみたいし、専門性を高めていきたいと思っています。ただ、仕事をバリバリやるだけじゃなくて、プライベートも両立していくつもりです。

私は結婚して半年のタイミングで海外転職を目指して、じっさいに上海にやってきました。もちろんパートナーとは話し合いをしましたが「いま、スキルアップしたい」という思いを諦めたくなかった。年齢を重ねるにつれて大切なものは増えるし、もちろん状況にもよりますが……、女性だからといって、結婚したら海外に行ったらダメとか、子どもがいたら絶対に海外就職してはいけない、というわけではないと思うんです。

やりたいと思ったら、なるべく早く挑戦したほうが良いと思います。思い立ったが吉日。自分自身で制限を設けず、挑戦することが大切だと思っています。




中国人の友人たちにボランティアで日本語を教え、現地の方との触れ合いを大切にしている。





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