海外・アジアで働く人々の就職体験談!連載企画『アジアで働く』
マレーシア・上海で働く:山元 亜希子さん(教師)
海外就職体験談 2020-02-24
日本にはない現実や貧富の差の中で強く生きる人々。
マレーシアと上海での経験を経て、
自分の生き方を考えるようになった。
上海美しが丘モンテッソーリ幼稚園 主任
山元亜希子さん(写真右)
【プロフィール】1990年生まれ。鹿児島大学教育学部卒。新卒でマレーシアに渡り、日本語学校の教諭として現地採用で就職。その後、中国・上海の幼稚園に教諭として入園し、現在は主任として日本人、中国人子女の教育に携わる。
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現在29歳ながら、海外生活は今年で7年目になる山元さん。日本の大学を卒業後、アジアの国で一人奮闘して来られました。海外で一からキャリアを築き上げていく中で感じたことや、海外で長く生活していくために必要なことをお伺いしました。
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■地元・鹿児島で過ごしてきた人生から一転、
マレーシアの日本人学校で働くことに。
私は地元である鹿児島の大学で、幼児教育の道を目指していました。生まれ育った鹿児島から出たことがなく、当然卒業後は日本で働くつもりでした。しかし就職活動を控えていた頃、学科の教授が日本人学校の経験者で、海外の日本人学校を受けてみないかと話をいただいたことが私の転機になったのです。 当時の海外子女教育財団(日本人学校)の面接は、行きたい学校の指定ができなかったので、選考を受け合格の連絡をいただいた、マレーシアの日本人学校に行くことに決めました。人生のうち一度は日本以外の場所に住んでみたいなという漠然とした気持ちはあったため、日本語教師の資格を活かして、教育に携わりながら海外に住めることに魅力を感じたのです。一度も行ったことが無かったマレーシアですが、就職を決めた時は不安よりも期待の方が大きかったですね。
■初めての社会人生活はマレーシアで。
充実した生活と、苦労した職場。
初めての海外生活、社会人生活をマレーシアでスタートしました。仕事自体は日本人学校なので日本語ができれば何とかなるだろうと高を括っていましたが、やはり生活する中で英語が必要に迫られることがあり、言葉が通じず、一人暮らしも初めてだったため、最初は大変でしたね。ただ、マレーシアの英語はアジア訛りですし、正確な英語を求められるわけではありません。単語を並べて通じればOKというスタンスなので、語学学校などには行かずとも、友人との会話を通して英語は徐々に習得していきました。
マレーシアでの生活で良かった点は、気候が暖かいこと、近くの島々や東南アジアの他国が近く、すぐに旅行に行けたことです。また、住居も快適でした。日本の都市部だとワンルームで8、9万程度すると思うのですが、私の住んでいたコンドミニアムはかなり広い2LDKに7万円程度で住めました。お給料は日本の新卒ほどでしたが、生活費で困ることはなかったですね。同じコンドミニアムに住む、イラン人やシリア人などのアラブ系の方との交流ができたことも貴重な経験だったなと思います。
しかしもちろん楽しいことばかりではなく、様々なバックグラウンドを持つ社員が働く職場環境に適合するのに少し苦労しました。私は仕事そのものが好きだったので帰りたいと思うことはありませんでしたが、その環境に合わず帰国する職員も数名いましたね。
それよりも私がマレーシアで働いていたときに不安に感じていたのは、3年間後輩もおらず、一番下として働いてきたので、自分は何か成し遂げられたのか、成長できたのかわからずにいたことです。日本で新卒で就職すると、周りの同期入社の子と大体同じように階段を上がっていくじゃないですか。私も子供たちや仕事に必死に向き合い、経験を積んできたつもりでしたが、日本で就職した友人と比較し、自分のキャリアに不安を感じたまま任期を終えたことを覚えています。
もともと決まっていたマレーシアでの任期を終え、日本に帰国したものの、海外に住む子どもの保育についてまだまだ学ぶことややりたいことがあると思いました。保育の引き出しをもっと増やしたかったので、保育に特色のある海外の幼稚園を探しました。海外の幼稚園教員専門の求人ウェブサイトから何社かに応募し、その折に現在勤めている上海の園がモンテッソーリ教育(※)という保育を基盤にしていることを知り、技法を学ぶためそこで働くことに決めました。
※モンテッソーリ教育とは、子供たちの自発的な活動を援助し、自主性などを育むことを目的とする教育方法。発達段階に合わせて、園児自身がやりたい手作業を選び、その作業に取り組む。例えば、縫物をしたり、国旗に色を塗り地球儀と照らし合わせたりなど。
■上海に拠点を移し、仕事も次第に充実。
2国を経験したからこそ感じるそれぞれの良さ。
上海の幼稚園では、これまでとは異なる新しい経験を積んで引き出しが増えて、仕事に対する芯ができていきました。入社数年で主任というポジションも任され、マレーシアで積み上げてきたものは間違ってなかったんだと自信を持つことができました。ただ20代、入社2年目で主任を務めることは正直プレッシャーしかありません。私よりも年上の方や文化も違う中国人職員に対し、日本的な細やかさなどを穏やかに伝えることが難しいなと日々痛感しています。
マレーシアの園と比べて上海の園では、子供たちが特別に元気がいいですね。感情表現がとても豊か。生活が違うとここまで感情の出し方が違うんだなと思いました。子供たちに限らず、中国人は意思表示がはっきりしていますよね。上海にきて一番驚いたことは、中国人は初対面のタクシー運転手と友達のようにおしゃべりすることです(笑)。いい意味で遠慮がなく、自分の意見を言うし、受け止めます。また、声が大きいところはいまだに慣れませんね。怒ってるのかな?という様子に見えても、実際は笑ってらっしゃったり(笑)。
マレーシアと上海の2つの地域の生活を経て、私はどちらも好きですが、上海の方が日本と距離的に近く文化も似ているので、より自分に合っている気がします。しかしそれも比較ができたからこそ気づけた魅力で、日本以外に2つの国を経験したことが自分の財産になっているなと感じます。
■海外に出なければ知らなかった
様々な生き方、様々な暮らし。
私が海外に出て最も良かったと感じることは、『生きていく』ことの価値観が変わったことです。特に感じたのはマレーシアでの貧富の差を目の当たりにしたとき。マレーシアは多国籍国家でマレーシア系、インド系、中華系と大きく3つの民族が住んでいます。富裕層の方は中華系が多く、清掃など人があまりやりたがらないお仕事をしているのはインド系が多いです。私の職場で清掃スタッフもインド系の方でした。そのスタッフとは仲が良かったのですが、私達が捨てたごみの中から持ち帰れるものはないか探しているのを見て、同じ国に住んでいて、同じ職場で働いているのに…と感じました。マレーシアには私達日本人には想像できないような現実や貧富の差がありましたが、みんなそれを笑って楽しく過ごすことで文化や人種の壁を超えていました。世界にはいろいろな人がいて、いろいろな暮らしがあることを知り、私自身も物事を考える際に広い視野を持つようになりました。
また、今住んでいる上海でも、生きるための強い力を毎日目の当たりにしています。この国の急速な発展は、そこに住む、エネルギー溢れる人々が創り上げているものだと強く感じます。自分の意見を言うことの大切さや、相手と妥協せずに話し合う粘り強さ、お互い他人同士でも友達のように接するフレンドリーな姿など、少しずつではありますが私自身も生活の中で前向きに行うよう心がけています。
今後、結婚など自分のライフイベントを考えることもありますが、上海でもう数年過ごした後、アジア以外のもう1国は行ってみたいなと思っています。
■思い通りにいかないことが日常。
「ま、いっか」と思えることが海外生活を楽しむ秘訣。
海外就職に向いている人は、「ま、いっか」と思える人ですかね。海外は日本の生活との差異が大きいので、これもいいかと思える人でないと難しいと思います。最近だと、上海の真夏にエアコンが壊れて、修理業者が3日来ずサウナ状態で生活したことや、風呂場の電気がつかなくなり、スマホの光で数日持ちこたえたことなどがありました(笑)。海外の中でも上海やマレーシアは日本人にとって住みやすい方だと言われるので、他の国だと余計そういった心持ちが重要になってくるのではないでしょうか。とは言え、地域によっても合う、合わないは異なると思いますし、出てみなければわからないことです。人生で一度は海外に挑戦してみたい、日本を離れて違う世界を知りたいと思う気持ちがあるなら、あまり難しく考えすぎず、まずは飛び込んでみる勇気が大切だと思います。
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