ログイン(新規登録)
メニュー 閉じる

海外転職の先にある、キャリアと生き方

第11回:山宮夢子さん(株式会社HPS Link取締役)

海外就職体験談 2022-11-18

過去の記事一覧はこちら


非正規雇用のまま27歳。
中国転職をきっかけに、
「中国×国際物流」でキャリアを開拓!




貿易・国際物流の人材紹介会社・取締役
山宮 夢子さん

1987年、東京都出身。日本では生花店でのアルバイトや旅行会社の事務、コールセンタースタッフなど、様々な仕事を経験した。2015年、上海の国際物流企業(フォワーダー) に営業サポートとして入社。その後は「中国×国際物流 」を軸にキャリアを開拓する。2022年、貿易と国際物流 に特化した人材紹介を行う「株式会社HPS Link」の取締役に就任した。


「私は中国転職の成功例なのかも……」と話してくれた山宮さん。日本では安定した仕事に恵まれず、27歳でつかんだ中国転職のチャンス。山宮さんはそのチャンスをものにして、その後のキャリア開拓に活かすことができている。海外転職後のキャリアが上手くいく人、いかない人、さまざまいるが、山宮さんはどのようにしてその後のお仕事につなげていったのだろうか? そのヒントをインタビューのなかで探ってみた。

***

幼少期から中国は身近な国。
   近所の中国人が言葉を教えてくれた


今年(2022年)から、貿易と国際物流 に特化した人材紹介企業「株式会社HPS Link」の取締役を務めています。

現在の仕事に至るまで、私は華やかなキャリアを歩いてきたタイプではありません。海外就職をきっかけに、仕事の経験値や専門性を高めることができたんです。もし、ずっと日本に居続けたなら、いまでもやりたい仕事に就くことができなかったかも……。すべてが、中国転職を機に変わりました。

もともと中国とは深い縁があります。親族が中国にルーツを持ち、父の弟(私にとっては叔父)は現在も上海に住んでいます。また、私の両親も、近所に住む日本に出稼ぎに来ていた中国人たちの生活をサポートしていました。同時に、共働きだった両親に代わって、近所の中国人たちが幼少期の私の面倒を見てくれていたんです。彼らが中国語を教えてくれたので、私も自然と中国語を話せるようになりました。

インド就職

幼少期に行った北京での1枚。北海公园にて



安定した仕事を得るため、
   中国語のスキルアップに挑戦

中国語を習得するにはとても恵まれた環境でしたが、20代になるまではそのスキルを伸ばそうとは思わなかったですね。 当時はまだ視野が狭く、中国は“発展途上国”というイメージ……。中国ビジネスの可能性に気づいておらず、語学習得にも消極的だったんです。

転機となったのは、大学院を退学したことでした。もともと、安定した仕事を求めて医療系の学校に進学したのですが、学んでみると自分には向いていないことがわかりました。別の道を探すべきだと大学院を中退。しかしそれは、くしくもリーマンショックや東日本大震災の後でした。大変な就職難で、スキルがない私は非正規で働き始めるしかなかったんですよね。

なんとか手に職をつけたいと願っていた私にとって、唯一あったスキルが中国語でした。ですが、当時は日常会話はできるものの読み書きが苦手。ビジネスに活かせるほどではなかったので、1年間アルバイトをして貯めたお金で、北京に滞在することにしました。3ヶ月間、かつてお世話になった中国人の方の家に身を寄せて、現地の方と交流しながら中国語のスキルアップに励みました。

そうして中国語の読み書きを身に着け、「中国語検定2級」も取得したのですが、現実はそう甘くなかったですね……。日本に戻り転職活動を行ったところ、中国語だけでは望む仕事を得ることができなかったんです。

インド就職

語学勉強のために滞在した北京。読み書きは独学で習得した



不安定な雇用のまま27歳。
   突然巡ってきた中国勤務のチャンス


その後アルバイトや派遣社員を続け、27歳。将来が不安で、焦燥感にかられるようになっていました。

そんな時に転機がやってきたんです。父がかつて生活のサポートをしていた中国人の方が、日本への出張ついでに父に挨拶へやってきました。私もたまたまその場にいて、世間話で仕事を探していることを伝えてみたところ、その方が「中国語を話せる日本人が活躍できそうな会社がある。紹介しようか」と。

その会社は日中航路をメインとする上海資本のフォワーダー でした。その方はすぐさま会社に電話をかけてくれたんですが、その時は「今は募集していない」と言われてしまいました。しかし、数日後、改めてその方が私の履歴書を持って会社を訪れたところ、その日の午前中に、長年勤めていた日本人スタッフが退職届を出したところだったそうです。あまりのタイミングに、会社の社長は「運命」を感じてくださり、面接をしてくれることになりました。

面接では、語学レベルや仕事に対する姿勢などを確認されましたが、条件を無事にクリアすることができ、入社できることになったんです。




山宮さんは「ビジネスで大切なことは上海の社長が教えてくれたんです」と話す



自分の個性に仕事がついてくる。
   中国で知った、仕事の楽しさ

そうして胸を高鳴らせてやってきた中国でしたが、私が上海本社にいた期間は2015年4月~12月の8ヶ月ほど。上海勤務後すぐに日本子会社へ移動になったため、中国滞在期間はそれほど長くはありません。でも、その8ヶ月間は自分にとって貴重な経験でした。

正直、上海の思い出と言ったら、仕事に打ち込んだことだけ。もともと日本では非正規で働き続けていたので、会社で自分の役割を示すことが最優先だったんですよね。

中国の働き方は、とても自由で驚きました。もちろんやるべきことはたくさんありますが、仕事の進め方は個人の裁量に任されていて、むしろ、自分自身で仕事を工夫することが重要視されています。私は、営業サポートをメインに行っていましたが、社長からは「あなたの個性を大切にしなさい。その個性に仕事はついてくる」とよく言われていましたね。

また、中国では自分の意見が言えない社員は、無能だと思われかねません。日本では、上からの指示には逆らわず、忠実に遂行するのがよいとされがちですよね。ですが、中国では全く逆。自分の意見を主張しなければ、中国人社員たちの信頼を得ることはできませんでした。自分自身で判断して、責任をもって仕事に取り組む。そうすれば、社員や取引相手とも信頼関係を築くことができます。私は、上海にいた期間で、仕事の楽しさややりがいを知ることができました。

だからこそ、日本の子会社 への移動はちょっとショックでしたね。ちなみに “日本子会社”と言っても、配属された東京支店は私ひとりの拠点だったんですが (笑)。経理や労務などは大阪にある本部がやってくれましたが、関東圏での営業、通訳、事務、そして協力会社との交渉や契約を すべてひとりで行っていました。責任も重大でしたが、それだけ多くの経験ができたと思います。それが私のビジネスパーソンとしての成長につながったと感じています。




上海に住んでいた時期に、現地の親族との交流も深めることができた



「中国×国際物流」を軸にキャリアを開拓。
   2022年、新ビジネスの取締役へ!

2017年末、約3年間務めたフォワーダーを退職。すでに30歳になっていましたが 、その頃には私の経験を評価してもらえるようになっていました。かつてのお取引企業や同業他社などで、私の海外経験 やフォワーダー業務経験に注目してくれる方が増えていたんです。その後はとあるメーカーの日本法人を立ち上げたり 、前職で協力関係だったフォワーダーで 営業を担当するなど、「中国」と「国際物流」というふたつの軸を活かして、経験を積んでいます。また、これまで仕事で築いてきた関係性の中で、仕事を繋げてきたのも私のキャリアの特徴です。

2022年の現在は、貿易・国際物流に特化した人材紹介を行う 「株式会社HPS Link」の取締役を務めています。今年設立した新会社で、社長の飯野はタイのフォワーダー企業で代表を兼任しています。 もともと飯野とは、数年前にSNSを介して知り合いました。お互いにフォワーダーに関連した情報を発信していて、一度オンラインで意見交換してみようという事になったんです。

それから少し 時間が経ちましたが、ちょうど飯野が日本で新企業を立ち上げたいと考えたタイミングで、私のことを思い出してくれたようです。声をかけてもらい、もうひとりの社員とともに挑戦することになりました。

海外勤務を経験してみると、日本企業の良いところ悪いところが見えてきます。日本の会社はとても良いサービスを提供しているのに、それを安売りしてしまったり、なかなかその魅力を海外に発信できていない。もっと貿易や物流業界を盛り上げていきたいです。そのためにも、私たちだからこそできる「国際物流×人材紹介」という組み合わせで、貿易・国際物流 業界の“ファーストペンギン”を目指しています。




飯野さんとオフィスにて。もうひとりのメンバーも、フォワーダー経験が豊富なプロフェッショナル



海外で働いただけでは不十分。
   何に真剣に取り組んだのかが問われる

私のキャリアは、中国へ行ったことをきっかけに始まりました。日本では希望する仕事に恵まれなかった私が、現在やりがいのある仕事に取り組めているのもそのためです。

もちろん、海外で働くだけでは、キャリアは拓けないと思います。何よりも「海外で何をやってきたのか?」が問われるはず。海外で目標をもって仕事に取り組めていたのなら、それを評価してくれる人はきっと現れます。また、私の場合は、人の信頼を得るように仕事を積み上げていくことで、そのご縁で仕事がつながってきました。仕事ってそういうものなんじゃないでしょうか。

日本でくすぶっていて、キャリアを好転させたいのなら、いちど海外に出てみるのはひとつの手なのかもしれません。悩むくらいなら、飛び込んでみることを私はお勧めします。

私は27歳の崖っぷちで「中国転職」というチャンスを得ました。もちろん、まだまだやるべきことは山積みで、目標はもっと先にあります。これからも「中国」と「国際物流」という私のふたつの軸を活かして、進んで行きたいと思っています。そして、私の就職活動での苦労や、中国転職での経験を、現在の人材紹介のお仕事にも活かしていきたいです。




オフィスにある3つのペンギンの置物





過去の記事一覧はこちら