求人件数

最終更新日2019/11/12

海外転職の先にある、 キャリアと生き方(7回目) 神農 亮さん




国内の飲食系企業から、
インドネシアの日系メーカーの営業職へ。
さらに、フィリピンで
語学学校事業を推進するなかで、
ひとつの「志」が見えた。


神農 亮 Ryo Kanno
サウスピーク 『理系エイゴ』編集長


<プロフィール>
1988年生まれ、兵庫県出身。関西学院大学 法学部政治学科を卒業し、2011年4月、東京の飲食系ベンチャー企業に就職。接客業務や新卒採用プロジェクトを手掛ける。2012年4月にインドネシア・ジャカルタにて、日系の大手切削工具メーカーOSG社に中途入社。法人営業をチームリーダーとして担う。2014年4月、フィリピンのセブ島にて語学学校を運営するサウスピーク社に転職。同社の事業推進を担った後、2017年4月に日本に帰国。新規事業やメディアの立ち上げをリードしている。







どうせ会社を辞めるなら、海外に行こう。
どこの国かは分からないけど。


飲食系ベンチャー企業勤務時代

   私は、兵庫県伊丹市の外れの出身です。都心部に行くには大きな橋を渡る必要があって、「自分は田舎に住んでいるんだ」という意識をずっと持っていました。また、もともとは在日韓国人でもあり、自分の国籍を考える機会もありました。たとえば、中学校と高校の卒業式では、卒業証書を授与する際に本名がいいのか、通名がいいのか、先生に聞かれたりもしました。私としてはどちらでも良いのですが、自分が外国人という事実を感じる瞬間ではありましたね。ですから、「いずれは外に出たい」「海外も行ってみたい」という想いも、幼い頃から漠然と抱いていました。大学は、地元の関西学院大学の法学部政治学科へ進学。政治を専攻した理由は、日本と海外を俯瞰して、国単位でモノを見る力を養いたかったからです。

   「外に出たい」という想いのもと、大学を卒業して上京。入社したのは、飲食系のベンチャー企業です。この就職先を選んだ理由は、なるべく早く実力をつけたかったから。ビジネスの仕組みやそれを生み出す組織を、間近で見られる環境を選びました。この会社が扱っていたのは「クレープ」です。店舗運営をまるごと任せていただいたので、ヒト・モノ・カネを俯瞰して学べました。ワゴン車で販売できるので、家賃が掛からず固定費が安い。また、クレープの生産工程も工夫されていて、数十秒あればお客様に提供できる。優位性のあるビジネスに携わると、その仕組みから色々なエッセンスを学ぶことができます。在籍期間は1年でしたが、ここで学んだビジネスの根幹は、今の仕事でも活きていますね。

   ただし、一方では、急成長しているベンチャー企業でしたので、無理のある働き方をせざるを得ませんでした。体を壊した人も多くて、同期はほとんど辞めてしまった。私自身も、家に帰れないことが多く、退社前の時期は、川口市のネットカフェで寝泊まりする生活。学ぶことが多い一方で、「このままでは体が持たない」と感じたことに加え、「どうせ会社を辞めるなら、海外に行こう」と考えて、転職活動を開始したのです。



「ジャカルタって、中東ですかね?」
日本人にとってマイナーな場所の方が面白い。

   当時は過酷な環境で働いて一定の成果も出していましたので、自信だけはありました。「海外」といっても、どこに行くのかのイメージも持っていませんでしたが、何とかなるだろうと(笑)。人材紹介会社との面談で、「職歴はほぼ無いのですが、海外での良い転職先はありますか?」と聞いたところ、「1つだけある」と言われて紹介されたのが、インドネシアのジャカルタでした。

   2012年当時、ジャカルタ周辺が経済特区に指定されていて、日本人の労働需要が高まっていました。ただ、私自身にとっては、縁もゆかりもありません。ただ、キャリアアドバイザーの方の話を聞くうちに、面白いかも、と感じ始めました。理由は、日本人が少ない未開の地だったからです。競合のいない場所で働いた方が、自分のバリューは出しやすい。また、見知らぬ環境の方が、ビジネスマンとしても鍛えられるでしょう。社会人2年目の若いうちから、そのような経験をするのも悪くない。「今月に仕事を辞めますので、来月から行かせてください!」と、その場で意気込みを伝えていました。

   前職を退社して、2週間、転職活動のために現地に渡りました。日系と現地、2社の人材紹介会社に登録して、「この2週間で決めなければ!」とできる限り多くの面接を受験。そこでご縁をいただいたのが、OSGという創業80年の老舗の大手日系メーカーでした。工場で使う機械を製造している大手企業です。主力製品は「切削工具」と呼ばれる、鉄やアルミなどの材料を削って自動車部品などをつくるための工具。その製品を現地の企業に売る、法人営業職として入社しました。幾つかの企業から内定をいただいていたのですが、OSGに決めたのは、面接をしてくれた当時の上司についていこうと思ったから。彼は、ベンチャー気質を持っている方で起業経験・海外でのビジネス経験もおありでした。私自身、過酷なベンチャー企業で1年間生き抜いたので、当時はなぜか自信だけはありました。片言の英語でも引け目を感じること無く、ガンガン話しかけたことも、結果として良かったのだと思います。

OSG(オーエスジー)株式会社
https://www.osg.co.jp/index.html



文化の壁を越えるためには、
現地の辛い料理にもひるまない。
「お前は、変わった日本人だな!」



インドネシア渡航直後の写真

   任された仕事は、ジャカルタエリア担当の法人営業です。現地の若手スタッフ2名のチームリーダーとして、取引先を拡大していくミッションを与えられました。朝、会社から高速道路を飛ばして、お客様が立地している工業団地で商談をして、夕方に帰ってくる。そんな毎日ですが、非常に楽しかったですね。お客様の工場で、提案した工具のトライアルを行うのですが、そこで想定通りの性能が出れば、インドネシア人のみんなと喜び合ったり。逆にダメな場合は、試行錯誤を重ねていくのですが、そのプロセスも面白かった。前職ではひとりの仕事が多かったので、チームとして動く楽しさを初めて感じることができました。

   ただし、異国の地ですから、苦労が多かったのも事実です。仕事への意識が日本人と異なるのには、戸惑いました。たとえば、私がリーダーとして、「毎日3件を目標に、顧客を訪問しましょう」と彼らに伝えても、なかなか動いてくれません。信頼関係が築かれていない状態では、その日の結果を報告すらされないこともありました。理由は、仕事へのモチベーションのエンジンが違うから。彼らにとっては、「仕事で成果を上げてお金を稼いで、良い生活をする」ことは、なかなかモチベーションにつながりません。家族と幸せに暮らすことが、優先順位としては高いことが多いので、早く帰りたがります。過酷なベンチャー企業でしか働いた経験がなかった私は、最初はとても戸惑いましたね。加えて、彼らの立場から見れば、よく分からない若造の日本人がリーダーとしてやってきて、色々と命令されても、聞く耳は持たなかったのでしょう。

   彼らとの距離感が問題だと思った私は、とにかく一緒に食事に行きました。インドネシア料理を「おいしい、おいしい」と食べることで、次第に溝は埋まっていった。「パダン料理」というものすごく辛い料理など、最初は口に合わないものもあったのですが、次第に順応していきました。「お前は、本当に変わった日本人だな!」とは良く言われましたね。

   英語だけでなく、インドネシア語も必死に勉強しました。仕事が終わった後に勉強して、半年くらいで仕事のシーンでも使えるようになると、次第に2名のチームメンバーとも打ち解けるようになってきたのです。年齢も近かったので、私が「兄貴」で彼らが「弟」のような間柄でコミュニケーションが取れるように。歯車がかみ合うようになり、仕事における成果も出始めました。大手自動車メーカーから大口の取引をいただいたり、大手部品メーカーには新製品を工場の全ラインに導入していただいたり。その成果が社内報でも紹介されたのは、良い思い出ですね。



海外で学んだことを日本人に伝えていきたい。
フィリピンの語学学校の立ち上げにジョイン。


セブ島勤務時代の一コマ

   日々の仕事の傍らで、海外就職についてのブログを書いていました。現地での生活の楽しさや仕事の意義をつづったもので、ある程度の規模にまで成長しました。サイト上でごくたまにキャリア相談を受け付けると、毎日のように希望者から連絡をいただくほど。自分の体験を発信すると、何らかのアクションを起こしてくれる人が大勢いた。これは大きな発見でした。法人営業の仕事には満足していましたが、「海外の生活で学んだことを誰かに伝えていきたい」という思いを持つようになりました。

   そこで、お声掛けいただいたのが、現在も勤めているサウスピーク。フィリピンのセブ島での語学留学を、日本人向けに提供している会社です。自分が海外で培ったことをダイレクトに活かせますし、創業社長がコンテンツマーケティングで集客の実績を出されていた方だったので、そのノウハウを学べるとも考えました。当時は創業2年目で、事業が立ち上がったばかりのフェーズ。ベンチャー気質が好きな自分にはマッチする職場でもあり、すぐに入社を決めました。

語学学校 サウスピーク
https://souspeak.com/

   そして、2014年4月、2年間勤めたOSGジャカルタ支社を退職し、フィリピンに渡りました。現地での日本人スタッフは社長と私を入れて4名。加えて、フィリピン人のスタッフと語学講師が計10名くらいで、小さな所帯です。私の担当は、事業推進と業務の改善全般。現場は問題が山積していました。当時、セブ島への語学留学は、まだまだポピュラーなものではありませんでしたから、先行事例もありません。手探りで仕組みをつくって、運用しながら直す、その繰り返しでした。



国や文化の壁にさえぎられない、
「人間としての根源」に気づいた。

   今思うと、とても大変でしたね。お客様を空港に迎えに行く時間が間違っていて、夜中に呼び出されたり、お客様と現地のスタッフとの間で、コミュニケーションの齟齬が起きることもしばしばありました。毎日が戦場のようなものです。まずは、お客様とのコミュニケーションを密に取り、不満やニーズを聞きながら、改善していくことに注力しました。話を聞くために、食事をご一緒することもありましたね。そして、やはりインドネシア赴任時と同じく、現地人の社内スタッフとの信頼構築も行いました。こちらも、一緒に飲みに行って、ひたすら思っていることを聞く。そして、ストレスが貯まったからなのか、寝ていたときに自分の歯ぎしりで「わっ!」と目が覚めたこともあります。新卒で入社したベンチャー企業とは、また違った困難の日々を味わいました。

   ただ、難しい仕事だったことは事実ですが、世の中で求められていることを担っている実感があったので、辛くはなかったです。サウスピークに留学するお客様は、英語における成功体験を持っていなく、海外にも出られたことがない方も多い。どうしたらいいか分からなくて困った方が、来ていただいている。私自身は、若さと勢いで海外に飛び込んだのですが、それはあくまで例外だということに気づきました。英語を一生懸命に学習する姿を見ながら、「お客様の将来のために、やれることは何でもやろう」と腹をくくりました。

   現地スタッフには、「お客様の英語力が上がった」「帰国をされた後、語学力を活かして活躍している」というように、仕事の「生」の成果を積極的に共有するようにしました。すると、彼ら彼女らもやる気を感じてくれます。立ち上げ当時からずっと勤めてくれているスタッフは、「お客様の成長を見るのが楽しいから、この仕事を続けています」と言っていました。ジャカルタ勤務の時は、文化的な壁を克服した2年間ですが、フィリピンではその壁の下にある「人間としての共通部分」を理解できました。根源的には「人間と人間」であり、国や文化が違えど、変わらない部分もある。そう感じることができてからは、一気に仕事が前に進むようになりました。

   結局、フィリピンで行った語学学校の運営事業の推進業務には、丸3年携わりました。当時のお客様は月に20名くらいでしたが、3年間で100名くらいにまで増加。現地のスタッフたちとつくりあげたこの実績は、いまでも誇りに思っています。



日本へ帰国。
語学教育の先にあるものを
実現するために。



   3年を掛けて、立ち上げに一区切りがついたこと、もっとご契約前のお客様と接したいと思ったこと。この2つの理由によって、日本本社への異動を申し出ました。社長に進言したところ、「じゃあ、こっちに帰ってきてくれ。日本にも仕事がいっぱいあるぞ」と了承をもらえて帰国したのです。

   2017年4月に帰国。最初に携わったのは法人営業業務です。サウスピークの留学サービスを、企業のグローバル人材育成の手法として活用してもらうために、提案活動をスタートしました。初めての試みですので、顧客リストを一からつくってアタックしています。現状では、自分自身の実体験もあり、製造業にフォーカスして推進中です。一方、メディア事業としては、『理系エイゴ』というWebメディアを立ち上げました。その名の通り、「理系人材のグローバル化を応援するメディア」というコンセプトで、英語を活かした海外でのキャリア形成のヒントを、提供していきたいと考えています。

理系エイゴ
https://souspeak.com/rikeieigo/

   この2つの事業はともに、私自身の原体験から生まれたものです。私は、低い語学スキルしか持たない中、海外に渡り必死にキャリアをつくってきました。一方で、語学学校で多くのお客様のニーズに触れて、語学の大切さを感じるのと同時に、「その習得した先も大切だ」という想いを持つに至りました。語学を習得した後に、どうキャリアに活かしていくのか。この「語学の先」の部分も埋めることで、一人ひとりの人生はより輝き、日本の国力も向上すると本気で考えています。



「自分とは何か?」
その問いに対する答えが
海外に行くことで見つかった。




   海外で働いて最も良かった、と思うのは、自分なりの志を持てたことです。海外にいるからこそ、日本の社会に対する当事者意識を感じて、その解決に力強く踏み出すことができるのだと思います。ジャカルタにいた時も、セブ島にいたときも、当然、日本人はマイノリティの存在でした。そして、現地の文化の荒波にさらされます。生活においても、仕事においても、今までに培ってきたものが通用しなくなる。「自分は何だろう?」「日本人ってなんだろう?」という命題が突きつけられます。また、双方の地には、当時は日本人が多くは住んでいませんでしたので、相談する相手もいませんでした。日本の友人に連絡をしても、この生の現状を共有することは難しい。「自分とは何か?」という問いに対して、自分自身のアタマとカラダで答えを導くしかありません。この孤独に向かい合った先にこそ、一筋の光が見えてくるのだと思います。

   私が導いた答えは「自分のこれまでのキャリアで得たものを活かして、語学習得に留まらずに、日本人のグローバル化を推進する」ことです。この志にたどり着くまでに、5年の時間が掛かりましたが、全く後悔はしていません。多くの日本人が英語を使えるようになり、多くの外国人と「人間と人間」としてコミュニケーションしている世の中を見てみたい。そのために、私は走り続けたいと思っています。



<インタビュー担当記者より>
神農さんは、国内での就業経験は飲食系企業での1年のみ。英語を使った業務も、海外に関連した業務も経験がありませんでした。学生時代の留学経験も無い中で、インドネシアとフィリピンで自らのキャリアを切り拓いていきました。なぜ、そこまでのことをなし得ることができたのか。本人は言います。「アウトプットの強い必要性にさらされるので、とにかくやってみる。そして、失敗したことを毎日振り返って、それを繰り返さないように、対処法をアタマの中にたたき込んでいました。PDCAを高速に回転させることで、何とかなりました」

また、本人曰く、「海外に行こうと思えただけで、それだけで資質があるということ。他の人には無い資質があるのだから、すぐにでも行動に移しても良いと思います」とのこと。語学学校の多くの留学生と接してきた神農さんの言葉に、私は説得力を感じました。


●インタビュー・執筆担当:佐藤タカトシ
キャリアや採用に関するWebでの連載多数。2001年4月、リクルートコミュニケーションズ入社。11年間に渡り、大手自動車メーカー、大手素材メーカー、インターネット関連企業、流通・小売企業などの採用コミュニケーションを支援。2012年7月、DeNAに転職。採用チームに所属し、採用ブランディングをメインミッションとして活動。 2015年7月、core wordsを設立。



この特集のほかの記事を読む


<求職者の皆様にお願い>
カモメに掲載されている求人情報は、求人掲載企業に対して求人情報に虚偽がないようにお願いはしておりますが、掲載内容の全てを保証するものではありません。労働条件・待遇等については、ご自身で企業に十分確認されることをお願い申し上げます。また、求人掲載内容と実際の労働条件が著しく異なる場合、大変お手数ですが以下までお知らせいただけますようお願いいたします。弊社から求人掲載企業に誤記・虚偽がないか確認をさせていただきます。ご連絡先:info@kamome.cn

Page Top